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2012.12.09(Sun):ミュージカル話
貼るの忘れてた兵庫でのお花。翌日行った時にはちゃんとお名前が入れられていたので、結構レアなショットなんじゃないだろうか。この色合いは本当に綺麗。この花を素直に綺麗だと言えるように、この作品が大好きだと言えたらなあ~(しつこく言う)
以下、愚かな行動を起こした三人組について思ったこと。



【More...】

兵庫でのあの三人を観ていて強く感じたのは、中原を取り戻すという思いは揺るぎないものだけれど、この行動を起こしたことをどこかで後悔していたのかもしれない、シュアンは天を煽りミンを巻き込んだことを、ミンは天とシュアンを止められなかったことを、天はシュアンとミンを含む多くの人々を守れなかったことに深く傷付き後悔しているように感じました。
そう感じた動機は息絶える寸前のミンを抱き締めながらシュアンが浮かべる微笑だったり、チュンが斬られて死ぬ時のシュアンとミンの表情だったり、光を失ってからの天の姿だったりするんですが、チュンが死ぬ時の表情を観ていたら、行動を起こしたらいつかはこうなってしまうことがミンにはわかっていたんじゃないのかなあ。だからこそ止められなかった自分を責め、その自責の念もあって一人残ったシュアンを助ける為に戻ったのかも?
一方のシュアンは戦う道を選ぶということは、こうなることもあるんだって現実をチュンが死んだことでようやく理解し(チュンから目を背け、俯く姿はそう思わされた)、そしてそのきっかけを作った(とシュアンは思っていそう)己を悔い、それで天を助ける為に自分を犠牲にしようとしたのかもしれない。でもその結果ミンまでもを死なせることになってしまって、だからミンを抱き締めながらあんな虚ろな微笑みを浮かべていたのかも?
最後に天。天は願いの成就の為ならば、誰かを守り抜く為ならば、自分が死ぬことを恐れてはいなかったんじゃないかと私は思ってるんですが、己自身が傷を負い、その結果あれほど守りたいと思っていた理宗様だけではくチュンをも死なせてしまったことに深く傷付き、色々なことを悟り、結果己に絶望して天命を待つという決断に至ったんだと自然に思えました。東京で観た時は全くそんなこと思わなくて、一度先陣切って走り出したのなら目が見えなくとも、怪我をしていても何か出来ることをしろよ!何閉じこもってんだよ!と天に対して憤りを感じていたのに。
空祥のお陰で新たな守るべきものを見出したけれど、結局は志を同じくしたシュアンとミンを守ることが出来なかった天。きっとまた傷を負い、己を責めたと思う。最後の最後で妹を守ることは出来たけれど、たくさんの後悔と未練を残してこの世を去ったんだと思う。でも、その思い全て含めて天祥が生きてきた証なのかもしれない。
兵庫でのラスト2回公演で、シュアンとミンのシーンでは穏やかな弦の旋律と二人の心情を思い浮かべたら、臨終のシーンで「生きろ…!」という声を聞きながら天がこの世に残したたくさんのものを思ったら、自然に涙がツーッと零れたのには自分でも驚きました。天も、シュアンも、ミンも、本当に馬鹿だとは思うんだけれど、でも精一杯走って精一杯生きたんだな…と兵庫公演を観て素直に思うことが出来たのは大きな収穫でした。
何が言いたいのか自分でもよく解んなくなってきたけれど、前述したように納得いかないことは多々あるけれど、「客家」という作品を、文天祥という役を観ることが出来てよかったと今は思っています。特に「正気の歌」での涙を浮かべたキラキラした眼とその視線の先に広がっているであろう光景を見つめる姿は忘れられないなあ…。それから、理宗様に謁見しこの方こそ守るべきものと感じた時のあの眼差しは、若者が髙麿の背中を見つめる眼差しと重なったなあ…。
余談ですが、以前の記事でフビライ様にこんな突っ込みをしましたが、兵庫でのトークショーで「(史実の)フビライという人物はなんでも自分の眼で見ないと気が済まない人で、四神のバヤンの名を借りてあちこちに赴いていた」という話を聞いて、なるほどなと思いました。ありがとうフビライ様。やっぱり捕まっちゃうのは馬鹿だと思うけどさ。
ところで、トークショーや楽のカテコで「聖飢魔IIみたいだね」とか「モンゴル兵じゃないよ?」など色々絡みまくっていたよしのけいごさんが大変楽しそうだったので、是非また共演して頂きたいですフビライ様。「フビライ役のバヤンだ。または、バヤン役のフビライだ。」のブレなさは本当に最高でした。
Secret

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